周回遅れの日記

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「GoogleReaderが終わる理由」について

スマートフォンタブレットのユーザーは、1日を通じて細切れのニュースを少しずつ消費している。古い標準的な習慣、つまり朝食時にニュースをざっと見て、1日の終わりに関心のある記事や読み物をゆっくり読むという習慣は、置き換わりつつある」
Google ReaderなどのRSSリーダーは、この「古い」モデルにあたる。座ってじっくりその日のリンクをひとつずつ見ていくやり方だ。グーグルは「Google Now」と「Google+」の更新で、よりモバイル的でアクティヴなニュース消費を読者に求めている。

http://wired.jp/2013/06/10/why-google-reader-got-the-ax/

うん、それは確かに分かります。
で、Googleとしてはマジョリティを相手に商売しなきゃならないので、「新しい」方に合わせなきゃならないということですよね。

ただ、「新しい」「古い」という言葉の使い方はちょっとどうかなと思う。
同じ人間のニュースの消費行動が変化したのではなくて、人が入れ替わったんだと思うんです。
従来の「古い」ニュース消費をする人たちは何も変えていないけれども、「新しい」ニュース消費をする人たちがわーっと大量に入ってきたので、マジョリティが質的に変わってしまったのだと思います。だから、従来の「古い」人間からみると、何も変わっていないのに、「おまえら古いんだ、時代遅れなんだ」と言われたら腹が立ちますよね。というか、「古い」人たちは「新しい」人たちよりも先進的だという自負心というか優越感ががあるはずです。「新しい、よりモバイル的でアクティヴなニュース消費」とはすなわち、インターネット普及以前のテレビを流しっぱなしにしているスタイルと本質的に変わりない*1からです。その辺りを分かっている「古い」人が、「おまえら古いんだ」と言われて感情的に反発するのむべなるかな、という感じ。

やはり、多くの人間にとってはやっぱりテレビは便利なのだなあ、と思います。テレビは終わったと言われているけれども、テレビが終わった後に流行ったのはやっぱりテレビであった、ということか。

私もどちらかといえば「古い」人なんですが(ただし、古い人の最先端よりは一週遅れのところを走っている)、結局RSSリーダーを捨てられないようなので、ただいまFeedlyの使い方を勉強しているところです。とはいえ、自分でプログラムを書けない(せいぜい人様の作ったスクリプトを改造する程度です)人間は、結局のところマジョリティのために作られたサービスを使わなきゃならないわけで、私もいずれは「新しい」スタイルに順応せざるをえない運命にあります。

といっても、「新しい」スタイルのために使えるものはあんまりない。
GoogleとしてはGoogleNowを使って欲しいのだと思いますが、GoogleNowって「Googleウェブ履歴」をオンにしておかないと全く無意味ですよね。
私、ずっと前から検索はGoogleばっかりですが、思うところがあってGoogleの検索履歴はオフにしたままなんです。

検索履歴がオフになってると、GoogleNowにはほとんど何も出てきません。位置情報(と思われる)にもとづく天気予報のカードと、マップの履歴にもとづく(と思われる)「勤務先まで45分です」みたいなカードだけ。Android4のNexus7を買って何が配信されるんだろうと一ヶ月くらい待って何も配信されないので、検索履歴がオフだと無意味だということに気づきました。でも検索履歴を有効にしている人でも、GoogleNowの配信をほめている人はあんまりいないですよね。

Gunosyというのが流行りつつあるようで、こっちはGoogleNowと違ってほめてる人が多い。でも、これもTwitterFacebookのアクティブユーザーじゃないと無意味っぽい感じで、配信された記事を見ると私には合わないようです。Twitterは専らTwitterでしか配信されない記事を読むためだけだし、Facebookのアカウントは懸賞応募専門で、これじゃ合わないのも当然か。

私のように「古い」人間で、かつITスキルが乏しい人にとってはこれから大変です。

*1:ただし、視聴者がザッピングでチャンネルを変えるタイミングを学習して、先読みして自動的にチャンネルを切り替える機能がついています